知ってましたか?相撲の番付からきた「番狂わせ」

娯楽
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こんにちはTORAです。

近年、老若男女問わず、外国人にも大人気な相撲。
なかでも「スー女」と呼ばれる相撲女子が増えてるとか。
今回は、日本の伝統文化である「相撲」について伝えたいと思います。

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相撲とは

相撲とは日本の伝統競技で、(腰にまわしを締めた)力士2人が、土俵で取り組む一種の格闘技の一種です。
ご存知のとおり、相撲は、一方の力士が土俵から出たり、足の裏以外の体の部分が地面に付いたりすると負けというものです。

どうしてまわしなの?

刀などの武器を一切持たず、土俵に上がり、「この身一つで勝負」する事を証明する為のようです。

さがりは何のため?

「さがり」は下半身を隠す意味があるそうです。
試合中にケガをするのが多かったということと、化粧まわしが簡略化されたそうです。
ヒモの本数も力士の体格などにもよりますが、必ず奇数と決まっていて階級により変化するのです。

どうしてマゲ(大銀杏)を結うの?

全身に緊張感がみなぎる。
力士の伝統美と風俗を伝承していくスタイル的な意味もありますが、
それだけではなく、立ち合いでぶつかり合ったり、土俵から落ちたりしたときに頭のけがを防ぐ意味合いもあるそうです。

大相撲の歴史

相撲は古墳時代の埴輪や須恵器の出土品に、相撲が行われていた様子が描かれている事から、
日本では古くからこの競技が行われていたと考えられています。
その当時の相撲は蹴り技も出てくるなど、打撃を主とする格闘技のようで、それは柔道の起源とも言われる事もあります。

奈良時代になると、三手の禁じ手である「突く、殴る、蹴る」や四十八手などの礼儀作法が制定されたと言われています。

平安時代には、各地から相撲人を集め、天王御覧の元に相撲が行われるようになります。
やがては「相撲節会(すもひのせちえ)」という公式行事になったようです。

あの「織田信長」も相撲ファンだったと言われています。

江戸時代になると、寺社建立修繕の資金集めとして「勧進相撲」が行われ、これが職業としての「大相撲」の始まりとされています。

そして、明治から戦前では「相撲存続の危機」が訪れまいた。
東京都で制定された「裸禁止令」によって、東京の力士は罰金とムチ打ちの刑に処されてしまう為、
「相撲禁止論」も浮上しますが、その危機を救ったのが、明治天皇と伊藤博文でした。
彼らの尽力で天覧相撲が実現され、やがて社会的にも相撲が公認されるようになったのです。

後に、東京相撲協会と大阪相撲協会が設立され、組織的な形態が確立されて、
明治42年には、初の常設相撲場となる国技館が建設され、力士は今のように羽織袴姿で場所入りするようになるのです。

大正時代には東京相撲協会と大阪相撲協会が解散し、大日本相撲協会が発足します。
ラジオも普及し始め、多くの国民が大相撲を楽しむようになりました。

しかし、その後の第二次世界大戦の影響で両国国技館と各相撲部屋も全焼し衰退の危機に陥りました。

戦後の復興には5年という時間を費やしましたが、やがて施設も復旧し、
高度経済成長期にかけてはテレビも普及し、相撲の中継も始まり、
こうして昭和から平成にかけ大相撲も非常に人気が出てきました。

最後に

相撲は勝敗も分かりやすい競技で、日本の伝統的な文化であると同時に非常に歴史あるスポーツです。
どうですしたか?相撲の歴史、とても深いですよね。

私の少年時代は昨年亡くなられた「ウルフ」こと千代の富士が大活躍でした。
平成に入り「若貴兄弟」、小錦、曙と相撲ブームでした。
千秋楽は絶対に観戦していました。

いつも「金星」が起こる取り組みを観るのが非常に楽しくて仕方ありませんでした。
いわゆる「番狂わせ」ってやつですね。

ちなみに「番狂わせ」とは番付表の格下のものが上位の者を倒す意味。
大相撲から来てる言葉だと知ってましたか?

それはさておき、最近もまた相撲ブームが戻ってきてるように感じます。
冒頭であった「スー女」も増えてきて、
さらには先日、稀勢の里も横綱に昇進し、横綱が4人揃いましたね。
唯一の日本人横綱としてさらに頑張って欲しいですね。

この記事を読んで頂いた皆様も、今後の大相撲を是非とも楽しんで観戦することを願っています。

今日も一日お疲れ様でした。

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