こんにちはTORAです。

先日、「日本はとても街がきれいだ」とフィリピン人に言われました。
しかし、それを言うとシンガポールの方がもっと綺麗なのでは?と思っています。

フィリピンは確かにゴミもタバコもポイ捨てするので、確かに街は汚れてるとは思いますが、一昔前の日本も汚れていたと思います。
いや、場所によってはまだまだポイ捨てしまくって汚い場所なんて沢山あります。

日本は、戦後の高度経済成長における大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染などで、当時はとても汚れていました。
それからは環境整備(下水処理)など個人から、家族、そして社会が意識して行動するようになりだいぶ環境も綺麗になってきました。
最近では路上たばこの禁止や、ゴミの放置・不法投棄も厳しくなってきているのは事実です。

どうしてここまで環境美化が進んで来たかは日本人のモラルの向上も関係してくるのでは?と私は思っています。

フィリピン人:「どうして日本人はモラルが高いの?」
私:「それはたぶん、日本には道徳教育があるからだと思う」と答えました。

と言うわけで、今回は日本の道徳教育についてお伝えしたいと思います。

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道徳とは

    • 人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。 法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。
    • 小・中学校において、道徳教育を行う教育課程。1958年(昭和33)に設置。
  • 『もっぱら道と徳とを説くことから』 老子の学。

日本大百科全書(ニッポニカ) 引用

道徳は「道」と「徳」からなるが、この場合の「道」とは世の中で人が従うべき道のことであり、「徳」とはそれを体得した状態のことである。

すでに中国の古典にあることばで、たとえば『易経』のなかに、
「(聖人は)道徳に和順して義を理(おさ)め、理を窮(きわ)め性を尽くして以(もっ)て命に至る」
という表現がある。

ここでは、道徳は天の道でもあり、人間の従うべき理法と自然の理法とが一体であることが示されている。

今後の日本における道徳教育

小学校では2018(平成30)年度、中学校では2019(平成31)年度から「道徳の時間」を「特別の教科 道徳」に変更し、より力を入れていくとしています。

円滑な社会生活を営むためには、さまざまなルール・マナーを身につけ、善悪の判断を行う必要があります。

まとめ

あなたもこの記事を読んでいて疑問が沸きますよね。
そう、「モラルと道徳」は同じなのか?

道徳(道徳心)=モラル(英語)で、非常にどちらも抽象的ですが、私は同じものだと解釈しております。

なぜなら外国には外国の文化、哲学があり、日本の道徳の授業に値する「ライフスキル(life skills)」という科目があるようです。
日本には仏教や老子や孟子などの思想が基で考えられてる物事や言葉が多々あります。

この記事の冒頭で述べた「道徳教育があるからモラルが高いのか?」断言はしませんが、
唯一他の国と違うところは日本には小・中学校と9年間の義務教育があり、そこで「道徳」の授業を受けます。
その義務教育こそが道徳心ある人間を育むのだと思います。

例えば下記の様な文章です。

とても仲良しなA君とB君が居ました。
ある日、運動会の前日にA君はB君に誤ってケガを負わせてしまいます。
B君はその怪我の影響で、楽しみにしていた運動会に参加できなくなりました。

その時、B君は確か運動会に参加できなくなり残念ですが、誤ってB君にケガを負わせてしまったA君も辛いだろう。
というA君の心境を汲み取り、相手の気持ちを思いやれる、「思いやりの気持ちを」持ちなさい。

という思想を教える科目だと私は思っています。

A君は確かに怪我をさせた加害者ですが、故意ではなく、誤って友人を怪我させてしまったという申し訳ない気持ちでいっぱいだと思います。
A君自身もB君と一緒に運動会に参加したかったと思います。

そう、ここで感じるのが「人を思いやる気持ち」ですよね。

この様な授業を日本では小・中学と受け、良い意味で刷り込み?されているのではと私は思っています。
この話が仮に交通事故や刑事事件ならもちろんまた話は変わってきますが…。

昨今の道徳教育はどのような内容なのかは詳しくはわかりませんが、
現代社会はいじめ問題など多々ありますので、教育現場も非常に難しいだろうと感じます。

話を戻しますと、日本人おける道徳(モラル)とは内面からの気持ちにより、行動できるかどうかだと私は思います。

モラル=ルールだとすると、街で「歩きたばこ」が禁止な場所で、ルールだから守るのか、もしくは内面的な気持ちから自発的に行動出来るかの違いで、ただ単にルールを守ればよいというだけならば、国も人も成長しないと思います。

街中の注意書きにもあるように、歩きたばこによる悪影響(子供の顔の高さ、副流煙の影響)などを理解し、他人を思いやる気持ちを働き掛ける事が出来るような人間を創るのが「日本人の道徳」だと私は思います。

他の国の人からも評される日本の道徳心、後世にも受け継いでいきたいですね。

今日も一日お疲れ様でした。