母の日は元々は5月の第2日曜日ではなかった?アメリカの影響?

文化・歴史
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こんにちはTORAです。

5月の第2日曜日といえば「母の日」です。
街では真っ赤なカーネーションを目にします。
また、プレゼントの購入でいつもは子供の客が少ない雑貨屋さんなどが混雑しています。
その「母の日」(マザーズ・デー、マザーズ・サンデー)は元々はアメリカの文化ですが、今では世界各国で行われている風習です。

今回は「母の日」についてお伝えします。

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母の日の起源、由来は?

「母の日」が生まれたのは、20世紀初頭のアメリカ・ウェストヴァージニア州。
母を亡くしたアンナ・ジャーヴィス(Anna M Jarvis)という女性の母親が、1905年5月9日に亡くなりましたが、
アンナさんは自分を苦労して育ててくれた母親を敬愛し、5月に教会で追悼式を開き、母が好きだった白いカーネーションを参加者みんなに一輪ずつ配ったそうです。

どうして世界に浸透したの?

母を想う気持ちに感動した人たちの輪が次第に広がり、賛同者も増え、やがてはアメリカ全土にも拡大することになりました。
そして、1914年、アメリカ連邦議会は5月の第2日曜日を「母の日」とする法律を可決し、
翌年1915年に法律が施行され、世界で初めての国全体における「母親のための記念日」が誕生したのです。

日本の「母の日」はいつから始まったの?

日本でも1915以降は、キリスト教の教会などではすでにお祝いが始まっていたと言われています。
1931年(昭和6年)に昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の誕生日である3月6日が「母の日」とされていましたが、
その後、戦争が始まり、終戦を迎えた戦後の1949年(昭和24年)にアメリカにならって5月の第2日曜日に変更されました。

なぜ母の日は赤いカーネーションを贈るの?

アンナさんが追悼式で送ったのは母が好きだった白いカーネーションでした。
当初は亡き母には白いカーネーション捧げ、存命の母には赤いカーネーションを贈っていました。
その後は赤いカーネーションが母の日のシンボルとなり、現在では多彩な色を合わせたカーネーションが贈られます。

世界の「母の日」

  • 韓国
    母の日という制限はなく、両親に感謝する日とされ、曜日ではなく5月8日が「両親の日」とされています。
    「両親の日」でも贈る花はカーネーションです。
  • トルコ
    5月の第2日曜日とされ、年齢を問わず全ての女性に対して「母の日おめでとう」と祝います。
  • フィリピン
    5月の第2日曜日で、フィリピン人は家族愛が強く、母の日の重要度は高いです。
    いつもとは違う特別なディナーであったり外食をします。

まとめ

1年に1度の母の日です。
離れて住んでいたり、毎日顔を合わせるているけど、何もしてあげられない。
色々なシュチュエーションがあると思いますが、折角の機会なので、いつもと違う事をしてあげたり、素直に日頃の感謝を伝えたりしてみましょう。

世界中のお母さんが笑顔になると良いですね。

コロナ禍で会えない時期も多々ありましたが、「会う」って事が大切です。
会える方はぜひ、お母様にお会いしましょ!

今日も一日お疲れ様でした。

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